透彫欄間が登場した時代背景は、日本の建築様式の発展と社会の変化に深く関連しています。
◇起原と発展
透かし彫りの技法自体は縄文時代まで遡るほど古いものですが、欄間としての使用が始まったのは奈良時代で、当初は寺社建築において採光を目的として取り入れられていました。
室町時代になると、貴族の住宅である書院造にも欄間が用いられるようになり、この頃から実用性だけでなく装飾性にも重きが置かれるようになります。
◇江戸時代の転換期
透彫欄間が本格的に発展したのは江戸時代で、いくつかの要因があります。
まず、数奇屋造の確立により、「侘び寂」と「きれいさび」という2つのスタイルに適した欄間デザインが生まれました。
さらに、町民文化の発展により、経済力のある商人や名主が豪華な民家を建て、欄間が一般庶民の住宅にも普及します。
江戸時代後期には贅沢禁止令が出され、豪華な彫刻が制限されました。これにより、シンプルでありながら個性的な透彫欄間が生み出されるきっかけとなります。
◇大阪欄間の登場
17世紀初期には大阪欄間の起源が見られるようになります。大阪が木材の集散地であったことや、豪商の存在が大阪欄間の発展を後押ししました。
このように、透彫欄間は日本の建築文化や社会の変遷とともに発展し、実用性と美しさを兼ね備えた独特の装飾要素として確立していきました。